参加ミュージシャン:久保田麻琴&夕焼け楽団、センチメンタル・シティ・ロマンス、見岳章、今剛、細野晴臣、井上鑑、中尾淳乙、マイク・ダン他
1980年7月21日、あやこのデビューアルバムがエピックソニーより発売された。
アルバムは1979年6月より1980年4月まで膨大な時間を費やし録音された。1980年当時の音楽状況はあやこがそれまで影響を受けてきたアメリカ西海岸、シンガー&ソングライター系の音楽が勢いを失いパンク、テクノ、AOR、スカなど様々な流行音楽が生まれていた。そんな風潮の中当初日本製ウエスト・コースト・サウンドを目指した制作陣は混迷を極めた。
ファースト・シングル候補曲として、井上鑑作編曲、松本隆作詞 日産自動車「ラングレー」のCMソング、シュプリームスのカバー「YOU KEEP ME
HANGING ON」(夕焼け楽団演奏)なども録音されるが結局メリー・ホプキン「悲しき天使」に松本隆が詞をつけた「NOSTALGIA」がリリースされる。
レコーディングには、A-SIDE 夕焼け楽団3曲、センチメンタル・シティ・ロマンス2曲。B―SIDE今剛などスタジオミュージシャンが参加。サイドによりニュアンスに違いはあるがあやこのヴォーカルがアルバムに爽やかな統一感を与えた。
モッキンバードとはテキサス/メキシコ周辺に生息する「ものまね鳥」のこと。サンディーがそれを女性ロックシンガーにたとえた詞を書き、アルバムタイトルにもなった。
デビュー時のあやこバンドは今剛(ギター)藤田洋麻(現洋介)(ギター)井上鑑(キーボード)マイク・ダン(ベース)上原裕(ドラム)で編成され、札幌道新ホール、新宿ルイードでデビューコンサート。後ルイードで毎月ライブを行った。
LADY-MOCKIN' BIRD ライナーノートより
・・・ by 水木まり(音楽評論家)
私が宮田あやこに初めて会ったのは、3年半ほど前、友人を通してだった。その時友人は、彼女を“札幌のリンダ・ロンシュタット”と紹介してくれた。けれどいま、彼女を紹介する立場に立ってみると、そういった形容が適切だとは思えないのだ。
たしかに当時から、彼女はリンダはもちろん、ボニー・レイットやリタ・クーリッジなどの女性シンガーの歌が好きで、時折地元でステージに立つときも、決まってそういう歌を多くうたっていた。髪の形もちょうど『ドント・クライ・ナウ』を発表したころのリンダに似ていたし、何より大きな瞳とそのあどけない表情がリンダを思わせた。
あらためて言うまでもないが、リンダ・ロンシュタットは、始めから現在のような力量を持ったシンガーだったわけではない。歌をうたいたいという彼女の欲求が、ひとりで駆け出してしまったような、そんなところがあった。そして、その歌の世界を伝えようとするあまり、つい情感が高じてうわすべりしてしまうような過ちをおかすことも、たびたびあった。しかし、そういったことも含めて、70年代当初の、歌をうたうという行為と自分の人生を生きるということが同義だった、言わば幸せな時代を、リンダは女性シンガーの立場で全うした数少ないひとりだったと思う。そして、その時代の終焉とともに、彼女がどのように歩みを進めたかは、多くの知るところだ。
宮田あやこの歌には、リンダが20代のころ持っていた歌に対するひたむきさのようなものが強く感じられる。そして彼女のそんなところに私はとても惹かれる。彼女は自分に正直な人だ。そして、どうしようもない感激屋でもある。うたうときも、おしゃべりするときも、笑うときも、泣くときも、いつでも一生懸命だし、どんなことにも感動できる無垢な心を持ちつづけている。
そんな彼女は、今後の活動の基盤として、住みなれた札幌を選んだ。札幌は1972年に開かれた冬季オリンピックと前後して、ひどくあでやかな街になっていった。以降、旅行代理店の北海道キャンペーンは四季を通じてくりひろげられ、多くの人の訪れるところとなった。札幌は、文化的にも政治的にも、北海道の中心地である。
整然と都市計画にのっとって作られた碁盤の目の街路、誇らし気に走る世界でも珍しいゴム・タイヤ装備の地下鉄、次々と進出してきた東京の大資本……。中央集権化が進めば進むほど、街は一様に無機的な色彩を帯びていく。
こういった札幌の日常の中で、地元で暮らす若い人たちの反発と、自分たちの街をいとおしむ気持はなかば錯綜しているようだ。宮田あやこもそういった地平にいるわけで、彼女が札幌で歌をうたいつづけていきたいと言うのは、多分そういう理由によるのだと思う。ちなみにこのアルバムで、「アラスカ」をはじめ3曲のメロディを書いた佐山博さんと、「やすらぎ」の詞を提供した熊倉とも子さんも、ともに札幌の住人である。
「ロック」ということばが不幸にも風化しつつあるいま、大切なのはロックに代わる次の“新しい”音楽を探すのに奔走することではない。彼女の表現はまだ稚拙だが、自身のロックを見つけ出し、それをうたっていこうという強い意志が感じられるのだ。アレンジやレコーディング技術などによって外壁をとりつくろったような、その場限りの音楽が多い中で、宮田あやこの歌は、その素朴さゆえに美しい響きを持って私には聞こえる。
そして、もしこのレコードを手にしたあなたがリンダ・ロンシュタットの歌に魅せられてきたなら、おそらく、宮田あやこの歌を通して、彼女のリンダに対する深い敬愛の念を感じとることだろう。
もう一度くりかえすが、彼女は“札幌のリンダ・ロンシュタット”ではない。リンダの模倣者でもない。彼女がリンダから受けたのは、もっと精神面での影響だ。リンだが何年も費やしてやっと自分の歌を見出したように、彼女も長い時間がかかるだろう。一番重要なのは、歌いつづけていくということなのだ。リンダがそうしてきているように……。(1980年)